メニュー

イン&アウトサイダー|土屋恵一郎「怪物ベンサム 快楽主義者の予言した未来」

2016年11月3日 - Criticism Kritique, Kritique, Literature Kritique
イン&アウトサイダー|土屋恵一郎「怪物ベンサム 快楽主義者の予言した未来」

久しぶりに面白い人物を発見した。ベンサムである。このベンサムという男は功利主義の創始者といわれていて、なおかつパノプティコンという相互監視社会を妄想し、創造した人間である。

このパプティノコンというものは監獄において監視社会をつくることにより犯罪を抑止する作用があるという思想から生まれた建築様式である。実際に監視するのではなく、監視していると思わせることによって全体を抑圧する作用があるらしい。人間の過剰な行動力を排除すると同時に、人間の想像力さえを排除しようとする考え方であろう。何故なら人間は心理において嘘がつけないからだ。

この考え方がどこに宿るかというと現代ではサイコパス思想と相容れることが考えられる。いわゆるサイコパスというものは嘘や虚偽を行ったときに全く罪悪感を持つことがなく、その行為を合理性のもとに判断することが出来る人間を指す。なので全体を見渡して行動することが出来る人間をサイコパスというのである。只、人は犯罪を犯そうとするとき何らかの罪悪感を持つことがある。悪いことをすると何か悪いことが起きる。因果応報という考え方もあるが、それ以前に人間が社会性を持った以上、何らかの形で社会的達成を欲する。その社会性を排除して達成されうるものを、社会は本質的に評価しえない。罪には常に罰を与えなくてはならない。宗教は許容することを容認するための社会機構であって、救済機構では無いのである。
何故ならば現代の社会はあくまで現実をもとに達成することを前提としているため、犯罪を起こすということはその人物の社会的評価を著しく下げるということになるからだ。

しかし、この世には社会的評価を全く無視して生活している人間がいる。そしてあろうことかそれに対して全く罪悪感がないのだ。罪悪感がない人間などこの世にいるのだろうか。
いる。それこそが現代におけるインサイダーなのである。不思議な感じがするだろうが、もしこの世に完全なインサイダーがいるのならば、その人間こそがサイコパスなのではないだろうか。マジか。

そこでこのベンサムである。このベンサムの口吻は嘘を言えば言うほど真実味が増すらしい。奇妙な人物だが、彼の本質は快楽ではなく、現実をもとに思考しているところにあると思われる。自分の目に見えることだけが現実であり本質である、という考えがそこにあるために、自分自身の自由意思を非常に大切にしていると考えられる。もし何らかの犯罪を起こすことになったとしてもそれ自体が社会に功利を与えることが出来るのならばそれは何らかの価値がある。しかし、もし何の価値もないものがこの世にあるとしたならば、人間には生まれてくる意味があるのだろうか。

ベンサムの特殊の思考は個人の在り方よりも、全体として社会がどのように有れば良いか、を考えていたということだ。この功利主義が人間の無意識に存在する以上、実存という思想も廃れない。功利と実存は二律背反であり、切り離せない。人はイン&アウト、功利と実存のはざまで揺れ動く存在なのである。そーなのか。

私はこんなF/揺らぎに生きるよりも情熱を持っていきたい。うつむいてループするより、前を向いてライブ。とりあえずスーパーでネギを買いにゴー。じゃまた。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です