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魂のエチケット|最相葉月「セラピスト」

2017年1月6日 - Kritique, Literature Kritique, Nonfiction Kritique
魂のエチケット|最相葉月「セラピスト」

今回は最相葉月セラピスト(新潮社)」を読んでみた。私自身も若いころに体調を崩したことにより、非常に大変な苦労をした。しかしこの世に一切の苦悩のない人間等いるのだろうか。そんな人間の人生の本質にかかわる根源的な疑問を突然想念として思い浮かべてしまう。この本は精神療法において行われる箱庭療法を取り上げ、その歴史を描きながら、現代におけるセラピーの在り方を問いかけている。

ちなみに私は著者の他の作品である「東京大学応援部物語(新潮文庫)」を以前読んだことがあるくらいの生半可な読者だ。そんな私は、この本を読んだときに感じたものは、「なんと外連味のない話だろう」というものだった。通常人が物語を作るときはある程度、嘘を入れる。それはなぜかというと物語に説得力を出すためで、魅力的な嘘をいれることで、読者はその物語をより深く楽しむことが出来る。そもそも小説には現実全てを入れることはできないので、描かないという形の虚さえも物語には存在する。

虚実という思想はスタイリストの思想の骨幹にかかわる問題であるが、現代では私小説作家の車谷長吉の随筆「文士の魂・文士の生魑魅」にも描かれている。文学に救いを求める気はないが、感動するためだけに本を読むのも面倒なかたには、お奨めします。

閑話休題(それはともかく)

この本には中井久夫という精神科医が登場する。彼が考案した風景構成法をもとに生まれた箱庭療法を取り上げ、セラピストの歴史を描いている。多くの精神科医がこの中井久夫という人間を尊敬している、という話を聴いたことがあるが、この医者の特徴は芸術家としての才能と医者としての才能、両方持っていたことで、私見だが、漫画家の手塚治虫を勝手にイメージした。手塚治虫はかつて漫画家になるか、医者になるかと人生の岐路に立たされたことがあるらしい。この中井久夫も「ポール・ヴァレリーの研究者となるか、医者となるかで迷った」と語っている。その才能の振れ幅が多くの人間に魅力的に見えるのかもしれない。

しかし、現代の精神科医のおおくが薬を処方して、都合のいい患者を作ることばかり考えている。職業なのだからお金を儲けるのは当たり前のことで自分の才能を金で売るのも当たり前のことだ。鬱にしろ、双極性にしろ、自らを治療するのは自分自身である。残念ながら精神病自体が、ジークムント・フロイトが考案した治療療法に過ぎず、このやり方で治るというのはあり得ない。以後精神分析はある程度発達してきたが、どの程度の人が治療されたか、そして何人の患者が死んでいったか、わからない。自殺をあくまで本人の意思と考えるか、それとも人間関係または社会関係における問題定義であるか、で捉え方が大きく変化するからだ。

現代の人間は社会に付随する生き物であるという前提で、多くの心理学や精神分析は成り立っている。人が生きる上でどのような形をとるかは千差万別である。社会生活を営む上で、どのように自らの心の在り方を捉えるか、魂自体を触れ合わせるにはある程度のエチケットが必要で、そのことでは医者と患者の差は考えない方がより良い関係を作ることが出来るのではないだろうか。エチケットの本質である。じゃまた。

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