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馬鹿正直のたましい|早川義夫「たましいの場所」

2017年1月19日 - Essay Kritique, Kritique, Literature Kritique
馬鹿正直のたましい|早川義夫「たましいの場所」

もっと早く読みたかった本だった。このミュージシャンにもっと早く出会っていれば、もしくはこの本をもっと早く読んでいればと思うほどのいい本だった。しかし人生には遅すぎることはない。私が生きている間にこの本に出会えた事はとてもいいことだった。一期一会とは屹度このことだ。希望の匂いがする。

と、まるで詩人のような呟きをしているが、たましいの場所 (ちくま文庫)を読めば詩人になる。もしくは本物というものを知ることが出来る。本物とは本物になろうという意志が本物であるという逆説をまさに表しているのがこの早川義夫という作家を表している。とりあえずこの作家、および本について書いてみる。

この作家の名前は早川義夫。本業はミュージシャンである。現在は69歳(2017年現在)。18歳から22歳までバンド、ジャックスで活動。解散後、1972年より、本屋経営、23年後、音楽活動を再開。経歴を見るとまさしく伝説の人物であるが、この本に書いてある内容はもっととんでもない内容なのである。それはこの文章は彼の狂気を帯びた音楽表現からまるで想像もつかないイノセントな文章によって成り立つ心象風景の在り方だった。この文章を読んで私は武者小路実篤の文章を思い出した。武者小路実篤は破天荒と転向を繰り返した理想主義者だったが、この早川義夫も退屈な理想主義者だったと思う。その退屈さこそがこの馬鹿正直なたましいを描き出している。

武者小路実篤はかつて真理先生 (新潮文庫)という小説で馬鹿一という画家を登場させている。彼は神経症的なものであり、一途に一つの石を描き続けた。彼のような自由を求めるたましいを描くことを武者小路実篤は想像したらしいが、早川義夫はその自由を求めながら、その狂気の日常を生き続けた奇妙な廃墟の創造に苦心した作家である。

可愛らしい文章の裏にはその文章がなぜその文章である必要があるのかが、本人の文章により克明に記されている。石にやすりを描けるように少しづつ丹念に練りこまれた砂利のような小石たちの粒をかつて日本にパンクロックを想像した一人が文章として描き出したのは行幸と言えると思う。いつか、自らのたましいの場所を知ることが出来るのだろうか。もしくはたましいが叫びだすのだろうか。「私はここにいる」と。

私は自らのたましいの場所を知らない。残念ながら、見た事もない。ただ、今言葉を一つ一つを選びながらタイピングをする私の指の動きと戯れが、いつか自らのたましいの場所を示すのではないだろうか。そのように私は祈っている。アメン、って私は宗教者ではない。

じゃまた。

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