メニュー

やがて恐ろしき自叙伝|草間彌生「無限の網 草間彌生自伝」

2017年6月29日 - Autobiography Kritique, Kritique, Literature Kritique
やがて恐ろしき自叙伝|草間彌生「無限の網 草間彌生自伝」

自叙伝とはあくまで一種の物語であり、著者の本質を描いたものではあるが、全てではない。小説家の場合は作品の一つに数えられる場合があるし、普通に仕事をしていた方が、自叙伝を書きたくなった場合でも人生の全てを描くというよりも人生の一部分を物語化して書くに過ぎない。

作家以外で自己表現を生業にしている人物、例えば芸能人の自叙伝や、画家や彫刻家の自叙伝の中には、本人が全く知らない間に、本人が記述した名義で出版された自叙伝も存在していたりする。しかし、このような場合でも「自叙伝」として世の中では読まれてしまうので、あくまで世間では「自叙伝」として流通されることになる。シュルレアリズム文学に自動記述という概念があるにはあるが、芸能人など有名人には存在するだけで社会が勝手に自叙伝を作り上げてしまうことがあり、空恐ろしいお話である。

さて、今回はアーティスト草間彌生の「無限の網 草間彌生自伝」である。草間彌生は前衛的作風を持ったラディカルなアーティストだが、一方で小説家でもあった。彼女の小説「クリストファー男娼窟」は野生時代新人賞を受賞している。読めばわかるが名作である。男娼の内面とその世界をを透徹した視点と文体で結晶化して描き出した草間彌生の才能にはびっくりした。というか、今まで読んでなくて損した、と思った。彼女の本は現在は殆ど書店でも手に入らない。

彼女の個展を見る限りだが、彼女の美の認識は凄まじい。一応私たちは彼女が一種の幻視者であることを知っているが、幻視者であることと芸術家の世界がリンクするとき、世界はこのように見えるのだろうか、と不安になる。そして私たちの知っている現実がいかに退屈な世界であるかを再認識させられるのだ。

「クリストファー男娼窟」はゲイの世界を描いているのだが、草間彌生にとって、ゲイの世界がナチュラルなのだろうか。草間彌生は女性(のはず)なのでゲイの恋愛対象には(多分)ならないはずだ。

恋愛対象や性的な対象としての価値観よりも、違う価値観をもって草間彌生は世界を見ていたのか。私たちはそれを偶々、幻視者であり、病識と捉えているに過ぎないのだろうか。

さて、今回は「クリストファー男娼窟」ではなく、「無限の網 草間彌生自伝」の方である。彼女は若いことに海外に渡り、芸術家として活動していた。その表現はセルフヌードあり、男性器をモチーフにしたオブジェあり、とショッキングな部分が取りざたされてきたが、彼女の底にあるのは芸術や人間関係に対する強い信頼と家族との強い確執だった。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です