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占い探偵の系譜|北村薫「中野のお父さん」

2017年7月3日 - Kritique, Literature Kritique, Novel Kritique
占い探偵の系譜|北村薫「中野のお父さん」

ミステリ小説を読む楽しみの一つに名探偵の活躍が存在する。主人公が登場したとたんに電光石火に謎を解く姿は現実にはあり得ないので、胸がすく思いがする。最近だと舞城王太郎が清涼院流水が作り出した超人探偵「九十九十九」をパスティーシュ化することで、ミステリー小説の幅を広げることもあった。

実際のリアリズムをもとにミステリー小説を考えるならば、名探偵よりも私立探偵、私立探偵よりも公立探偵、いわゆる刑事の方が有能であるはずだ。なぜなら刑事はシステムとメソッドを持っているからである。

しかしそれ以外に民間で私立探偵以外に探偵のような仕事をしている方はいないのだろうか。いた。いわゆる辻占い師だ。

かれらは同じ時間に同じ場所で客を待つ商売であり、特に人間観察自体を仕事にしている。所謂心理カウンセリングなどを扱う医者や心理学者は空間を必要とするが、辻占い師の場合はより広い空間をもとに仕事をしている。

なぜなら占いの基本は「当たるも八卦当たらぬも八卦」だからだ。「八卦」とは古代中国の図像の形を表している。この世における事物事象を表していて、この現象から現在を確認して、今後の未来を占う。

つまり情報を表すというより、情報をどのように解釈するかの方が、大事ということである。つまりそこに描かれている図像は変わらない。占うということは、他者に自分の状態を尋ねる、ということで相手に言葉の呪いをかけてもらうことを意味する。

そのためできるだけ良い言葉を人は求める。ひとによっては「自分の状態が悪いという意識を持っているからこそ占いをもとめるのだ。」という考えのもと、現在の状況をより客観的に伝える場合がある。

そこで今回は「中野のお父さん」である、がこのタイトルを見て、私は「新宿の母…」と呟いていた。「新宿の母」とは伊勢丹新宿本店横を本拠地に占い活動を行う占い師を指す名称である。所謂土地に根付いた辻占い師である。つまり「中野のお父さん」は中野にいる占い師という意味と私は想像した。

占い探偵の系譜を紐解けばやはり島田荘司の「占星術殺人事件」の名探偵御手洗潔だろう。ちなみに初期の御手洗の職業は占星術師である。それ以外にも倉知淳の「占い師はお昼寝中」もある。黒崎緑の「しゃべくり探偵の四季―ボケ・ホームズとツッコミ・ワトソンの新冒険」に探偵の保住くん(ホームズのもじり)が占いのまねごとをして謎を解くシーンがあった。

タイトルが「中野の父」ではないのは柔らかい感じを出すためだろうか。山崎ナオコーラの「お父さん大好き」と似たニュアンスを感じる。つまりかわいい感じだ。ちなみに山崎ナオコーラのほうは嘘っぽさが感じられて、素敵なタイトルだと私は思う。北村薫の方はユーモアを感じられる。

閑話休題。

この物語の特徴は「お父さん」の謎解きが必ずしも正しい、つまり正解ではないということだ。娘が頭を悩ませ、わざわざ父に相談に来るからには、出来るだけ前向きな答えを導き出したい、といった親心のようなものを感じる。この形式は著者の代表作「空飛ぶ馬」からなる「円紫さんと私」シリーズと同じ結構を持っている。

「円紫さん」シリーズの場合、主人公はまだ社会人にはなっていない。そのため、自分の人生の師を「円紫さん」という大人に求めている。しかし「中野のお父さん」の場合は社会人になった娘は周囲に自分の求める大人がいないのだ。人生を切り開こうとしているのは自分自身だからだ。そこでお父さんの登場である。

北村薫の物語の作り方は非常にわかりやすく、合理的である。そのためその構造に含まれた毒がわかりづらい場合がある。そして、その分かりづらさが明確化する場合、あたらしい出会いより関係性の停滞がテーマとなってくる。

この物語は一見、お父さんが名探偵のようにも読める。だが実際は違うのではないだろうか。簡単に言うとお父さんは引退した身である。自分自身ではもうどうしようもなくなっていることが多い。だけれども、娘が父と話をして答えが出るときに、まるで瞬間のマジックが存在するのだ。そこでは人間関係における新しい価値が提示されていると私は感じる。

都筑道夫の「退職刑事」もそうだが、名探偵とは簡単に言うと社会的には捜査のプロフェッショナルをリタイアした人間が行う職業である。アガサ・クリスティにヘラクレスの名前を冠されたポアロでさえ、かつての刑事としての経験をいかして探偵業務をおこなっている。

だからこそ、人が容易に邪悪なものに魅入られることを知っているし、また人間を信じることの大事さを知っている。社会において、良く生きることの尊さを知っているのだ。

役に立たないかもしれないものでも、娘を守ることが出来るかもしれない護符として役立てられるのならば、という考えが北村薫にこの物語を書かせたのではないだろうか。避難場所ではなく、そこで行われる会話は、父と娘がお互いを尊重した大人同士の関係性なのかもしれない。

じゃまた。

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