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追い詰められた男「ジャコメッティ展」観覧記|描かなければよかったのに日記。

2017年7月24日 - Kritique, 描かなければよかったのに日記。
追い詰められた男「ジャコメッティ展」観覧記|描かなければよかったのに日記。

その日も、やはり乃木坂駅で降りた。幾度も階段を下りたり登ったりを繰り返して、国立新美術館に入館。そして「ジャコメッティ展」を見てきた。

見てきて、非常に面白かった。もしかしたら私は自分がアートと親近性があるのかもしれない、と考えていた。一説によると気軽に美術館に来てくれる客もキューレーターにとってはなじみの客であるらしい。毎日、通うだけで結構かかるし(一般料金1800円)毎日来て特に迷惑をかけない客はいい客なのかもしれない。その人は本当にその美術館が好きで、アートとかいうものが好きなのだろうから。

私も美術館初心者として「ジャコメッティ展」に参加してみた。しかし、そこで見た絵やイラストや彫刻はそんな私の小さな見解を超えた素晴らしいものだった。はっきり言ってすごい芸術家だと思った。名前はジャコメッティ。芸術家みたいな名前だ。芸術家だけれども。

そこで見た作品に関する個人的な感想を書いてみる。今回は私は特に「犬」と「猫」が可愛かった。とても愛らしい作品で見ているだけで顔が緩んできてしまった。今思い出してもニヤニヤする自分がいる。これだけ見れてもよかった。

美術館の回し者のようなセリフだが、美術館を利用する人間としては美術館がはやってくれないと、継続して展覧会が行われないため、出来るだけ多くの人がアートやらなにやらに興味を持ってもらうことが大事だと思う。それよりも、美術館の中で座っていたり、歩き回っている美術館のキューレーターは何をするのが目的なのだろうか。

太った女が写真を撮っていた。すると美術館の人に注意をされた。なるほど、同じように美術館を見ている人間からは注意しずらい。何故なら、私も心のどこかで美術館の作品を写真に納めたいと思っていたからだ。その太った女の姿を見ていたら、私も写真を撮りたくなった。

だが、やめた。それは太った女性が注意されたからだ。もしくは写真を撮るだけでは飽き足らなくなるような気もするからだ。なので自分の目に耳に鼻に焼き付けたいと思った。写真を撮らない代わりに、脳髄にジャコメッティをへばりつけたく思っていた。

ジャコメッティ独特のデッサン方法。まるでデッサンが狂っているような太ももの角度、人物の下半身の太さ。どう見ても人には見えないのに、人物というタイトルのつけ方。何のために作られたのか分からないオブジェ。まるで自然を模倣するだけで、それ以外のものを排除しようとする、石のオブジェ。人物のコンポジションが意味と無意味のはざまで成り立つ、人間を自然に表現しようとする豊かさ。そしてそこから生まれるデッサンのイメージの豊かさ。

そこにあるのはデッサンの本質に迫る、自身の本質と人間の本質を描こうとする芸術家の姿があった。多分、彫刻やデッサンはジャコメッティ自身の思想を反映しているのだ。だからデッサンは正確である必要はない。本質に迫るための嘘がなければよいのだ。つまりジャコメッティのデッサンには多分思想的に嘘がない。

芸術家が自分自身の技術ではなく思想を反映したデッサンがこの世に存在はするだろうが、それを一つの作品として価値があるのは、ジャコメッティのような芸術家ぐらいかもしれない。またはピカソのようなモンスターもそれに近いかもしれない。

後半には、ジャコメッティの影響を受けた日本人の芸術家の紹介をしていた。その芸術家は矢内原伊作。というか哲学者である。彼の姿を描いたポートレートは、とてもやさしい感じがした。そしてまるで紙の端切れに描かれたかのような、矢内原の姿は、哲学者といったしかつめらしい言葉とはまるで無関係な姿だった。

そのデッサンには二人の共に過ごした時間まで感じられるような気がした。多分気のせい。

最後にジャコメッティの表現について考えたことを書いてみる。私は20世紀の芸術はデザイン思想の時代だと思っている。だからこそ海外からの影響をもろに受けた日本の芸術家たちが戦前戦中戦後に活躍したのだと思う。他の文化を取り入れることによって生まれた、新しい人間関係への期待と、その人間関係の不毛さに対する絶望の時代だったのだ。

今回、ジャコメッティの後半の彫刻に私は21世紀の芸術の未来を感じた。そこにあるのは、ある人物の彫刻なのだが、その姿は同じ人物をモデルにしたとわかる彫刻なのだ。

写真などで作品を見ればわかるように、ジャコメッティの彫刻は人間の個性を表現するうえで、殆ど個性や個人を削り取った表現をしている。女性は胸とおしりの丸みでしか確認できない場合があるし、タイトルに肖像画と書いてあっても、どう見ても顔に見えない作品もある。

しかしその彫刻は、同じ人物を表現しているのだ。モデルは確認していないので、似ているかどうかはわからない。しかし明らかに同じ人物なのだ。そのことに私は感動した。このことをジャコメッティの芸術家としての成熟と見る方が良いのだろうか。私はそれは違うと思う。

そこにあるのは、人間の本質を描くことに関する非常に重要なことで、その人間をその人物としてとらえるには、耳の形状や鼻の形、顔の形姿等の情報以外の、私たちには理解できない何かがあるのだ。それこそがもしかしたら本質というものなのかもしれない。

ちなみにタイトルの「追い詰められた男」はジャコメッティのことを指している。彼の芸術の捉え方は独特で、当時理解できた人は少なかったのではないだろうか。というか現在、ある程度、20世紀の芸術に関して知識のある私でさえ、一部ではなく、作品自体にたいして「わからない」と思うところがあった。

彼の表現は、もしかしたら自身にさえ理解できないことを定義しようとしていたのではないだろうか。そりゃ、追い詰められるよ。

じゃまた。

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追い詰められた男「ジャコメッティ展」観覧記|描かなければよかったのに日記。」への2件のフィードバック

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Properly like Mommy stated, when we love one another and love the worlld that
Jesսs died for, thɑt?s a type of worship.
When we take into consideratiοn GoԀ and hearken to the sermon or in Sunday School, thɑt?s a method
of worshipping as a гesult օf wwre studying how great
God is and He likes that. Or ⲟnce wе sit round and infоrm one another
what the ƅest issues about Gοod are. You understand
how much you want listening to individuals say how sensіbⅼe or cutе you boys are?
Effectively God likes once we discuss toցether about how nice he is.?
DadԀy answered.

返信
    yamantaka

    It is important to speak with many people.
    I do not think anyone will do the worst thing in the world.
    That is because people are naturally seeking a better world.
    Is there a fifth element, ether (which may not exist in this world)?
    But when life comes, I can not live without seeing death.
    If there is something that does not exist, it is lost beforehand.
    The flow of time destroys everything.
    If you leave it to destruction, people will help the soul of solitude.
    That is my father’s answer.
    I am not a boy.
    Did not God condemn the minority or loneliness?

    返信

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