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鍵カッコが多すぎる!!!…けど読みやすい。|橋本治「上司は思いつきでものを言う」

2017年12月28日 - Essay Kritique, Kritique, Literature Kritique
鍵カッコが多すぎる!!!…けど読みやすい。|橋本治「上司は思いつきでものを言う」

橋本治を読んでいて思うのは「鍵カッコが多すぎる!!」だ。でも読みづらいかというとそんなことはない。非常にわかりやすい。これは不思議な現象だ。大体鍵カッコを付ける場合は鍵カッコの中を説明するためにつけるからだ。鍵カッコの中身がそのまま読めるのに鍵カッコを付けるとは一体どういうことだろうか。

橋本治の鍵カッコはめちゃくちゃ読みやすい。何故だろうか。それは其の儘読めばいいからだ。其の儘読んで理解できるからだ。これは不思議なことで、それは私が、鍵カッコ批評家の柄谷行人の『日本近代文学の起源』が実は「『近代』『日本』『文学』の『起源』」と鍵カッコを付けて読むべきだ、とあとがきに書いてあるのを読んで、げんなりした記憶があるからだ。

初めからわかりやすく書いてよ、とだれもが柄谷行人等のポストモダン批評の本を読んで思っただろう。少なくとも私は思った。何故わかりづらく書くのか。しかし、実は解りわかりづらく書いているのではなく「文学的」に書いているのだ。文学的に書くということは「物事を分かりづらく書く」ということだ。ということは実は書いている人も自分が何を書いているのか(伝えようとしているのか)分からなかったりする。

世の中の文学部の学生や読書が好きな人以外は文学とかにそれほど興味がないだろうし、実は学問にも興味がない(多分)。それなので解り辛く書く人の気持ちが分からなかったりする。それはそうだ。解り辛く書くということは、実はその書いている人が、シンプルに説明できないことを説明しているからだ。一言で説明することが出来れば苦労はないし、もっと書くと「俺の書いていること解らないだろう」ということを言われているので、「そんなことエラそうな態度されても…」と読むほうが委縮してしまう。結果的に読者は減ってしまう。当たり前だけど「もっと解りやすく書けばいいのに…」と思うだろう。

そこでテーマが必要になってくる。テーマとは題材である。ポストモダンとは構造を脱却することを指すし、それをテーマに主義主張をするのが目的なので、実は「文学的」なものを脱却することが目的だったりする。なので題材がないと脱却できない。

橋本治はかつて『桃尻娘』という小説を書いていた。当時この小説を読んだ人は吃驚しただろう。これは文学なのか、小説なのか、と。知っている人がどれだけいるか知らないので、少しだけ引用してみる。

「大きな声じゃ言えないけれども、あたし、この頃お酒っおいしいなって思うの。黙っててよ、一応ヤバいんだから」

橋本治はインタビューで萩尾望都や大島弓子の漫画を読んで、新しい何かを発見した、と語っている。「少女漫画の登場人物は私憤でしか生きていない」と看破した橋本治は、この訳の分からなさを説明するために再構築した結果生まれた文体及び小説が『桃尻娘』だそうです。

つまり橋本治は「少女漫画」に構造を発見した人なのだ。まさか、当時の文学者たちがマルクスとか、七面倒くさいよくわからない主義主張を色々考えて、何とか解決しようとしている中、「少女漫画」という思春期の女性しか読まないと思われていたものを題材にするとは考えなかったのだろう。というかそこに「構造」があるとは当時作家で橋本治以外だれも気付かなかったのだ。

『桃尻娘』を書いた橋本治自身が実は、少女漫画の登場人物が「私憤」でしか生きていないことにびっくりしていたそうだが、この私憤で生きている人がいる、という「普通」の現象が解らないのが橋本治という人なのである。これは誰でも私憤で生きているし、お酒飲んだらおいしいって思うし、文学ってわざと解り辛く書いたりする、というのが普通の人の感性が解らないということにつながる。

それこそが橋本治なのだ。

では橋本治は本当に普通が解らないのだろうか。「上司は思いつきでものを言う」のは当たり前のことで普通のことだ、と誰もが考えているのだろうか。橋本治は「思いつきでものを言」っていないのだろうか。

橋本治も「思いつきでものを言」っている。「上司は思いつきでものを言う」といった(というか書いた)のは橋本治だからだ。しかし橋本治は自分で言ったことが気になるたちなのだ。「上司は思いつきでものを言う」けど「上司が思いつきでものを言う」のはどういう現象だろうか、と考えるのが橋本治なのだ。

そのため、橋本治の書く文章は解り辛かったりする。同じ話を何度も繰り返しているように感じるときもある。でも実は同じ話を何度も繰り返しているのでは無く「上司はは思いつきでものを言う」のはどういうことか、ということを解りやすく説明するために、繰り返し説明しているのだ。

解り辛く書くのは面倒くさかったりする。それは読む人のことを考えていないからだ。普通、読む人のこと考えていれば、解り辛く書いたりしないし、もっと相手に分かりやすく書いたりする。相手が学者だから、などは関係ないし、大学生じゃないと読めない内容も関係はない。むしろ、解り辛い内容ならば、子供にもわかりやすく書くのが大人の道理ではないだろうか。

橋本治のユニークな所はわかりやすく書こうとすればするほど、話がくどくなり何度も繰り返すことになるという所である。

普通は誰にでも分かり易く書いたら、シンプルな文章になるはずだからね。

良くある話だが、エッセイや論文で自分の意見を世に出す場合、海外から輸入してきた新しい思想が取り入れることがある。当たり前だけど海外の文章なので日本語に翻訳するのは一苦労だ。そしてその海外の新しい思想を誤読・誤解して(そもそも人は誤読・誤解するものだ。だからベストセラー小説が生まれる)編集者に「このようにしたら売れる」と言われてわざわざタイトルに『戦闘美少女の精神分析』や『社会的ひきこもり』と付けたりする(実際は知らないけれども)。けど実は誰も「戦闘美少女」を精神分析して欲しいなんて頼んでいないし(編集者が「こうしたら売れる!」といったが知らないが)、不登校の人をわざわざ「社会的引きこもり」なんて名付けて欲しいなんて頼んでいない。世の中には「社会的引きこもり」≒「ニート」と考える人もいる…。当然誤解で、まず「社会的引きこもり」なんてどこにも存在しないからね。

結局、日本人の無意識に訴えかける要素が強いタイトルだから付けられていて、普通の人ならば「戦闘美少女」に興味がないし、「引きこもり」もしないという感性があるから、わざわざ「精神分析」をする必要があるのだ、と思うのだろう。

けど実際は単なる宣伝でしか無かったりする。つまり読まれるためのタイトルとして工夫をしているのだ。

なので「『戦闘美少女』に興味があったりするのは異常だし『引きこもり』をしたりするのは異常なのだ」と「普通の人」は思ったりする。そして理解しようとするポーズを付ける必要があるので「精神分析」をしなければならない、と考えたりする。けど問題は不登校の人を異常な人間のように扱って、問題解決をしようとしない「普通の人」の方にもあったりするのではないだろうか。

何故なら環境を悪くしているのは「『普通の感性』を持った『普通の人』が大多数であり『正しい』と考えて、『異質』と思われる人を排除しよう」と思考する層があるからだ。これって拡大解釈するとナチス・ドイツの考え方と似ている。完全な優性思想だから。極端に考えると「死」によって排除をすることを考える。

じゃ、この「普通の人」は普段何を思って暮らしているのだろうか。というのが「上司は思いつきでものを言う」に繋がるのだ。このエッセイというか一種の自己啓発本は橋本治がサラリーマン向けに書いたものだ。少なくともタイトルの「上司は思いつきでものを言う」というタイトルを読んで、「ほぉ…」と感じるのは、サラリーマンだろう。ということも実は本書「上司は思いつきでものを言う」に書いてある。

「鍵カッコ」とは何か。それは観念である。つまりめちゃくちゃカッコつけている人間の考え方なのだ。このような人間は実は平気で人のことをバカにしているし、バカにしている自分が正しいと思っている。何故なら相手は馬鹿だからだ(と相手をバカにする人は考えている…)。

観念を最上位にして作家活動を行ってきた作家に坂口安吾がいる。彼の小説を町田康が「主人公がめちゃくちゃカッコつけている」と書いていた。たしかにポーズをつけすぎの感じもあるけれども、この作家の特質は実はユーモアに由来している。しかし戦争に巻き込まれてめちゃくちゃひどい目にあったのが坂口安吾であり、そのあと逆噴射的に作家活動をしていたのが坂口安吾だ。『白痴』や『堕落論』なんかは、戦後、誰もがひどい目にあったことが無意識に捉えられている。

橋本治という作家を論じるときには、まず思い付きで書いていると思われるが実はそうではないし、『桃尻娘』がライトノベルの元祖や少女小説の元祖かと思われたりするが実はそうでもない。実は『桃尻娘』は時代の流行に対する非常に文学的なパロディ文学なのだ。たとえて言えば紀貫之の『土佐日記』が近いかもしれない。『土佐日記』も「男でも女の真似して日記を書く」ことを目指した作品だから。そして何故日記を書くことが女の真似になるのかと云えば、女しかひらがなで日記を書かない、という文化があったからだ。

多分橋本治は自分でも説明しているように「普通」ということがわからない人なのだ。なので、少女漫画の文体を使用して小説を書いたりしてしまう。ただ東京大学に入学して卒業している。大学って能力がない人にとっては入学することも卒業することも苦痛以外何物でもなかったりするので、橋本治は頭が良いことがわかる。

でもその理由は、大学の中には、大学にしか居場所がない人がいたりするからだ。この大学以外居場所がない人は、平気で人を馬鹿にするし、同時に平気で人を貶めたりもする。それは大学という知性が最上位の場所でしか生きていけない人が居るから。これはいじめやハラスメントが起こる原因とも繋がる。暴力(言葉の暴力も含む)を振るったら相手が死ぬ可能性を想像しないから。

今回は橋本治という作家を紹介するために『上司は思いつきでものを言う』を紹介してみた。この作家を理解するためには、橋本治が実は「作家は偉い」という社会通念を理解しながらも所詮「出入り業者」だという感性を持っていることも理解してみると面白いしわかりやすいだろう。

かつて吉行淳之介は「売れない作家は傘張り浪人に過ぎない」と看破すると共に自虐をしていた。当時戦後の重々しい空気が充満していて、誰もが「戦後日本」を重々しくとらえていた。その中で第三の新人たちは、家族の問題という「些末事」をテーマに文学を描いていた。

このような現象から「作家であること」と「作家の価値」の違いを理解して欲しいと切に思う。そして、橋本治は作家としては破格の作家であることを多くの人に知って欲しい。

じゃまた。

といろいろ書いてみたが、不思議なことにこの世には「わからない」ことのほうが多い。それは知らないことの方が多いからだろう。論理的に考えると知らないことは知らない、でもよさそうだけど、その「知らない」ことを実は知りたいのだ。

じゃまた。

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