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LINEスタンプ「マカロンねずみちゃん♪」|描かなければよかったのに日記。

2018年4月17日 - Kritique, 描かなければよかったのに日記。
LINEスタンプ「マカロンねずみちゃん♪」|描かなければよかったのに日記。

LINEのコミュニケーションツールはSNSにおいて、日本的な村文化風のニュアンスを伝えやすいツールである。それは集団チャットを携帯で行えるからだ。つまりある一定の集団の集まりの話し合いを相手を目の前にしながら無言で行える優れたツールと言える。
しかし村文化を模している、ということは村文化における問題点もそのまま当てはまるということだ。とくに最近問題になってきているのは「LINEイジメ」である。何故このようなことが起こりやすいのか。
まず「イジメ」についてだが、「イジメ」とは社会に出る前の学生、または未成年間内でおこる不特定多数の人間による個人及び人格攻撃を指す。そのため一対一の場合は「イジメ」とは言いにくい。しかしある権力のある人間がつまり支配者が、一人の人間を攻撃する場合は「イジメ」と呼びえるであろう。
ただ周囲の人間はこの現象を「イジメ」とはとらえず、イジメられている人間を「イジメられやすい人」つまり「イジメられっ子」と受け取ることがある。ここまでくると人権問題になってしまうし、イジメられている個人は病気になってしまう可能性がある。このような状況になる前に早急に対処しなければならない。
上記のことで「イジメ」については理解されたと思うが、それと村文化がどのような関係を持つことになるのか。それは村文化とはほぼ一人の権力者によってなりたつ小さなコミュニティを指すからだ。そしてそれはほぼ三人以上いなければ成り立たない。
つまり村文化という社会は二人では成り立たないのだ。そこで社会について考えてみたい。社会というものは性格を持っている。先ほどの「村文化」もその性格の一つだ。人はその社会の性格に適応する形で生活を送っている。その社会に適応できない場合「イジメ」にあう場合がある。
前述したとおり「LINE」は「村文化」及び「村社会」を模したSNSであるが、それはある特定の関係性のみで完結できるSNSだからだ。
ここで例を挙げる。あるグループに13人のグループがいる。そのグループの一人がある一人を個人的に攻撃をし始める。少なくとも攻撃する側は「個人的な」理由で攻撃をした、と説明をした。すると、周囲の人間も当然関係ないことをアピールできる。すると攻撃されている人は周囲に助けを呼ばない場合がある。
さて個人的な理由で攻撃をしているようだが、個人的な攻撃を「LINE」という閉ざされたグループ内で話をした場合、これは個人的な理由とは言えないだろう。さらに個人的な理由、つまり個人情報をもとにSNS及び口で攻撃する理由を求めるのも、村社会、村文化の特徴である。
つまり先に口に出して攻撃をすることで、相手を心理的に貶めるのが、村文化のような狭いコミュニティにおける攻撃方法であり「イジメ」と呼ばれるものなのだ。
その為、後で「イジメ」を確認しようとしても「相手のことを思って、行った(言った)」という言い方が成り立つ。もちろん本当は成り立たない。つまり「イジメ」という捉え方では成り立たず、普通に虐待・ネグレクトとして捉えれば成り立つはずの攻撃が、「イジメ」と言う言葉に置き換えられることで、見えづらくなるのだ。
さらに「いじめ」の場合「悪気がない」という言い方もなりたつ。村文化の場合、「悪気がない」≒「邪気がない」と受け取られやすい。「自分は子供であり、精神年齢が非常に低いため、相手のことを思っても悪口になってしまう。」という言い訳をしゃべっているのだ。つまり大人ではないことを暗に、周囲に伝えているのだ。
「イジメ」は事実確認をするのが難しいのは、言ったときや行ったときに解決できない問題であることだからだ。そのため、「イジメ」を行う側は他人に対する想像力が欠如している人が多い。
想像力の欠如とは、ありていに言って客観的な視野の欠如を指す。
教師が学生を攻撃する場合にもよく使われる言葉だが「悪気がない」のは「自分が大人ではない」と相手に言っているので、実際は言い訳としては全く成り立たない言葉である。
では何故、教師が学生相手に「大人としての態度」をしないのか。
これは村文化、というより日本独特のメンタリティが関係してくる。
「大人のインテリジェンスよりも、子供のイノセントのほうが価値がある」という価値観が日本文化には存在するのだ。
飛躍があるが少し説明する。子供は勝手だし自由だ。そして自由に振舞って許されることが価値があると勘違いするのは、日本人は精神的に大人になることに価値を生じさせる社会にはなっていないからだ。それは日本の会社の成り立ち自体が沢山の村社会の乱立によって成り立っているからだ。さらに会社が仕事をするための共同体ではなく、その小さな世界での細かい争いをするだけに終始する場と捉えられてしまうからだ。
なので「子供を大事にしよう」という至極当たり前の考え方のほうが皆に受け入れられやすい。なので社会において偉くなると子供(のように)手前勝手な態度をする人が出てくる。つまり「頑張って偉くなったので、自分勝手に振舞っても良い」と思いがちになる。
私は、基本的に人間は自由だし、迷惑をかけないで成長していく人もほとんど皆無なので、むしろ誰もがある程度、お互いに気を使うことが出来るほうが社会としては成熟していくだろうし、人間的にも成熟することが出来ると考えるのだが。
一番ひどいのは「戦争をすることを肯定する思想」だ。確かに一時的に技術力は向上するが、その後、戦争が起きた土地の文化や社会は、リセットされはしないが、リスタートを余儀なくされる。これを小さな世界で行っているのが「イジメ」の本質であり、「イジメ」をするほうは一時的に技術力(思考力・連携力・想像力等も含む)は向上するが、小さな世界の出来事のため、されたほうは社会からフェイドアウトしてしまうため、「なかったこと」「いないこと」にされてしまう。
つまり、その「村社会」から完全に排除されてしまうのだ。
日本が村社会という形式を取り入れたのは、「イジメ」があった場合、新しい村にイジメられた人間を迎える必要があるからだ。ただ「イジメ」がおきる場合、イジメる側はあらゆる手段を使い、自分の正当性を主張する。最近では野生動物の持つ「弱肉強食」という考え方を誤認して、平気で主張する子供がいる。見ていて恥ずかしいし、そのような子供には(大人にも)「自分一人の力だけで、一生、生き続けてみてください」と問いかけたらいかがだろうか。
世界に正当性のある言葉はいくらでもあるし、言葉とはいくらでも誤読も誤認識も出来る。ただ、その言葉を振りかざしたとして、互いに良い結論にたどり着くだろうか。
私も言葉の暴力を使う場合があるが、よほど怒りを感じた相手でも無ければ使用しない。だからこそ怒りを感じた理由のほうが重要である。よく考えてみると大した理由じゃなかったりする。何故なら基本的に人間は良い世界を望むからだ。それは世界最大の大量殺害を行ったファシズムやナチズムでさえ、そうなのだ。
話が大きくなってきたので、戻ろう。
要は、LINEのみで完結する問題ではなく、LINE上で起きているということは、怒りが既に存在するということである。その怒りをシンプルに相手に伝えるか、それとも自らの中で治めるか、それとも違う表現方法を使うか。
イジメや悪口に特化するということは、人間の自己表現において低劣であるのは「イジメ」は「模擬戦争」と近いからだ。そしてゲームと思っているのは行っているほうでしかなく、受けている側には本当に被害が起きている、ということを忘れないほうが良いだろう。
それと、最近ではLINE上で無視をする「サイレント・ネグレクト」もある。何も起きていないようだが、無視されているため、イジメられているほうは悲惨な状態である。イジメるほうはほとんど労力を使わないまま、イジメる相手に多大なダメージを与えることが出来るイジメである。会社などで仕事をもらえない人とかは「サイレント・ネグレクト」にあっている可能性がある。気を付けよう。
このようなイジメを平気でするのは「意識高い系」に多い。「俺のほうが高い!」という自意識が「サイレント・ネグレクト」を生むのだ。本当は本人に実力がないだけだったりする。そっちも気を付けよう。こういう人は裏では「俺だけはお前のことを解かっている。」という態度をとってくる場合があるので、余計たちが悪い…。
久しぶりにまじめに書いてしまった。

実はタイトルにもある通りLINEスタンプの「マカロンねずみちゃん♪」について書くつもりだった。「マカロンねずみちゃん♪」とはこれだ。

LINEスタンプマカロンねずみちゃん♪(左は販売ページのサイトになります。まずはクリックして実物を見てください。そして出来ればご購入下さい。そして出来ればご利用ください。)

「マカロンねずみちゃん♪」は私が知っている人(と書いていいかどうか…)が作ったLINEスタンプである。さらにこの「マカロンねずみちゃん♪」にはLINEスタンプをどのように売ればよいか、についてのアイディアがあるので、そのことについて少し考えて書いてみる。
まず第一に「LINEスタンプアニメーション」で作られている。さらに日本語に限らず、色々な国の言葉に翻訳されて作られている。確かに日本語だけだと、日本人しか利用できないし、しないだろう。日本で受けなくても、他の国で受ける可能性もある。結構重要な考え方だ。「LINEスタンプ」はコミュニケーションツールなので、日本人には使いづらくても、海外の人には利用しやすいがあるのかも…無いか?マカロンはフランス語でフランス菓子なので、フランスで受けるのか?
ネズミと言えばチーズは安易な発想で、もしかしたら日本人限定の発想法なのかもしれない。マカロンは生菓子に近く、保存がきかないお菓子らしい。たいしてチーズは保存食でもある。「マカロン」と「ねずみ」のギャップがなんかいいのが、特徴か。
LINEスタンプは商品なので、売れたほうが良い。優れた作品が売れることで、作った人の高い技術力を皆が知ることになるからだ。
他にも色々とありそうだ。後で考えてみる。
さらに、技術は一度身に着けると無くなることはないが、使用していないと、新たに使うのには、また時間がかかる場合がある。そのためには、何度も繰り返し使用することで、さらに強い技術になる可能性がある。「鉄は熱いうちに打て」とは技術を鍛えるときは短時間で身に着けたほうが効率が良い、ことを指すことわざである。
さて「マカロンねずみちゃん♪」は売れるのだろうか。
あとは、何処其処かの有名人・芸能人に「私も『マカロンねずみちゃん♪』を利用しています。」的な内容のことをTV番組で話してもらうとかがあればよいかも。知り合いにいないので無理か…。
それと日本人の無意識に根差した何か、がその「マカロンねずみちゃん♪」にあれば、売れるのではないだろうか。多くの人に知ってもらったり、利用頻度で上位に挙がってくるという説もある。本当だろうか…。
「マカロンねずみちゃん♪」は可愛いが、最近ではただ可愛いものよりも「ゲス可愛い」のが人気があるみたいだ。「ポプテピピック」や「野生爆弾」しかり。
狙えるような部分でもない気がするが…。「チンポム」を見ていてもアート自体が一種の壮絶な自己表現でありながらも「商品」として消費されていくのが現代的な感性なのかもしれない。
という考え方も20年前、40年前に流行しているよな。一時的な流行ではない本物志向が日本人にはあるのだろうか。
話がだんだんズレていってしまった。気を付けよう。
…と書いたら、内容うんぬんよりも街頭演説風な文章になってしまっていた。一見「自分の意見を言いたい人」のようで、読んでいて「何言いたいんだかわからねー」と言いたくなる文章だ。…文章少し、気を付けよ。
でも偉そうというよりも、どこか悲痛な雰囲気のある文章だ。大丈夫か、この人…。
じゃまた。

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