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新しい年への手紙|朝吹真理子「流跡」

2018年9月30日 - Kritique, Literature Kritique, Novel Kritique
新しい年への手紙|朝吹真理子「流跡」

本を手に取ろうとして、手に取れず云々と心が鬱屈してしまう時が度々あり、それは余程体力が落ちていることであることが分かる。そういう時は特に何もせずじっとしていることも良いかも知れないが、私は蒲団の中に潜り込みながら「流跡」という本を読んでいた。それは心の中で自分が「何もしない/していない」気持ちのまま落ち込んでいたいからだ。そのけだるい倦怠感に浸れることこそ体調が良くなってきている証なのかもしれないけれども。

キーボードの上を指が動くまま、それ自体を書いているのが「流跡」という小説の特徴なのだが、次々と指の動かすまま生まれる言葉が意識の流れた痕跡として、文章とそれに伴う言葉となっている。その跡には何らかの匂いがあるのだけれど、あくまでこの小説を書いたのが人間であるという事実があるからだ。しかしこの小説を書いたのは著者である朝吹真理子さんである。そして言葉を入力しているのはキーボードであり、その結果ディスプレイに言葉が次々と打ち込まれ変換され、いつしか文章へと変換され、「流跡」へと成り立っていくのだけれども、そのキーボードを操作しているのは人間の指である。とするとキーボードの形は人間の自然の動きを従属しているのだろうか。

指の動きが人の思考をつかさどるのならば、キーボードの配置が自然と人間の思考を限定してしまうのではないだろうか、という自由な思考の流れるような痕跡こそ「流跡」の文章の特徴になっている。指先から離れた思考こそ流跡の思考の跡の自由さを特徴づけている。

パソコンならずディスプレイならず、もしキーボード自体が思考をしているのならば人間は必要ないのではないか、という妄想さえ生まれるが、妄想しているのは人間であり、そこに描かれる世界を文章や文学という形で入力しているのは明らかに人間の意思のようなものであると考えられる。妄想や脳内で思考されるのは人間の意思であり、動物や社会という概念を作り出したのが人間でしかない、という事実も概念化させて戯れているのだ。

何もない状態や何もしていない状態からは、何物も生まれるわけがなく、人間は何もしないでは生きていくことが出来ない。人は生まれたときから生きることを選んでいる。泣き叫ぶのは生きることを伝えているからだ。その意思だけは何者にさえも奪えない。むしろ何もしていない状態は、人は生きるための何かを探している状態だったりする。新しい年へと続く、誰かが既に作っている痕跡を探りながら、自らの道を探しているのか。

感情があり、その感情を伝えるのはキーボードに入力して行われるだけではない、そのキーボードを叩く一見弱々しい力も自分の意思を伝えようとする流跡なのだ。人が感情を伝えようとするとき、言葉があり、声があった。「流跡」は言葉だけが人の思いとなりえる感情として捉えなおせる世界を提示している。そこにはやはり獣じみた匂いがあり、古典文学が持ち得た幽玄的な変化の世界がある。或るものが男になり女になりそうして、ある。

良ければ、この「流跡」の世界を皆楽しんでみたら如何だろうか、一見臭みが感じられるが実は高雅な匂いであり、とても良い匂い袋の匂いを嗅いでいられる気持ちになれる。その何故について考えると、彼女の世界が肯定感によって成り立っているからであり、物事を善悪では測っていないからこその浮遊感があるからだ。眠っているのだけれど、まるで熊の冬眠のような優雅さが感じられる。

善悪を超えた思考の流跡なのか、というと結局円環を描くように元のいた場所に戻っていく。果たして円環は描かれているのか、たまたま偶然始まりと終わりが同じように繋がっていると勘違いをしているだけではないだろうか。つまり肯定感さえもある種のうさん臭さによって、成り立っていることがこの文章の特徴であり、思考されることが幾度も同じことを繰り返していることであり、一見正しい思考方法のように見えるが実は、思考が流れる為に言葉が選択されていることが読者も本書を読んでいるうちに理解されていくのが「流跡」の特徴であろう。キーボードを操作したことがある人間ならば幾度も打ち返すことで文章を練り直すやり方や思考方法になれていることも「流跡」という文学が成り立ったゆえんだろう。

時に善悪について話をするのではなく、思考を繰り広げながらも、思考自体に限定されるため、その痕跡こそが思考であると「流跡」は伝えているのだ。私も伝えられていた。それはまるで朝吹真理子さんの思考をトレースしながらも、トレースされているような奇妙な読書体験だった。「流跡」を読んだ人はそのような読書体験をしているのではないだろうか。それは「流跡」の思考の痕跡を私たち読者はたどっているからだ。

「流跡」の思考は特別なものではなく、幾度も「流跡」を追う獣が良い匂いを負い続ける指の戯れであることこそが「流跡」の文章の特徴になっている。文章も読めない程、疲れたときに読める小説です。読んでみてください。でも疲れている時は何もしないで寝ているのが良いかも知れません。熊の冬眠のように新しい季節への体力を保存するために。そしてキーボードの指はコントロールキーとSのキーボードに延びる。じゃまた、ねぇ。だったから。

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