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分かりにくい物語|「僕らは奇跡でできている」「獣になれない私たち」

2018年12月20日 - Kritique, TV Kritique
分かりにくい物語|「僕らは奇跡でできている」「獣になれない私たち」

「僕らは奇跡でできている」にはヘンな人間ばかりが出てくる。このヘンな感じはオフビート感とも説明が出来て、基本的にみな常識が通用しない。逆に常識がある人のほうがヘンに見えてくる。でこの状況を発達障害と説明すると分かりやすいのだけど、発達障害自体まだ説明がついていない障害なので、簡単に「発達障害がテーマのあれね。」とは言えない。現代の状況で説明すると「発達障害のあれね。」になってしまうだけで、実は言っている人も聞いている人も「発達障害って何だろう……?」と考えているのだが、じゃ考えたからと言って答えが出るわけでは無いのが発達障害の特徴で、むしろ生半可な知識は間違った判断や差別を生みやすい。

けれども間違った判断や間違った差別ってなんだろうか。

それはともかく、このドラマの特徴はやはりヘンな人間が登場するドラマと捉えたほうが良いだろう。常識ある人のほうが喚いていて当然疲れるので、ヘンな人たちは自分なりの世界を保ちながらヘンに生きている。それを寛容している世界があるのは、大学や学者の独特な世界があるからである。彼らは一言で言うと研究者なので、研究者を演じているわけではない。一方常識のあるプロの研究者もいて、当たり前だけど研究の世界とは、世界に役立つものだけでは出来ていない。役に立たないものも当然世界には存在する。寧ろその役に立たないもののほうが後々世界には役に立つことがある。

これが研究というものの本質である。

そうして、ヘンをまた別な言葉に例えると悪人となる。悪人とは他の人に迷惑をかけていても気付かないような人たちで、主人公は時間を守れないのだが、では時間を守れないからと言ってそれが必ずしも間違っているわけでは無いのも社会の特徴で、それは時間とは主観的な要素を持っているからだ。

社会において迷惑をかけているのは誰か、を説明するのは結構難しい。時間を守れない人は迷惑だけど、一方時間を守れなくても誰も困らないのが実情である。「誰にも迷惑をかけていない。」と口では言いながら当然掛けているわけで、じゃ、「誰にも迷惑をかけていない。」と言っている人が本当に「誰にも迷惑をかけていない。」と考えているとは思えない。

とすると主人公の僕はどう考えても悪人であり、分かっていながら悪を為してしまう人ということになる。そうして悪を為しながら、尚且つ常識ある人を責めるような悪人であることがわかる。

つまり「僕らは奇跡でできている」は超自我の強い人間の悪の物語なのだ。そうして周りは彼を王様のように扱いつつはれ物に触るように接する。主人公はいっぺん天才肌っぽい人かな、と誤解したけどそうではなくて、単にずぼらで色々と自分では出来ない人間というだけだ。じゃ発達障害がそれに該当するか、というとそれは多分違うのは、このオフビート感、つまり常識が転倒することで笑いにまで昇華されないじれったい感じと、やはり主人公の行動や言動が笑いにまで到達しないことこそ、このドラマのオフビート感覚として成り立っているからだ。

はっきり言って何も考えないで見たいのに、そのように出来なくて、ぞわぞわっ、としながら見ているドラマであり、正直とてもリアリティがあると思う。同時期に放映されている「獣になれない私たち」は結局皆、行動や言動に理由があり、引きこもりでも理由があり、それが解決をしていくので、見ているとカタルシスがある。しかし一方でそのカタルシスが「色々あるけどみんな結局良い人だな。」というカタルシスでしかなくて、つまり主人公である晶が「仮面を被っている」としても、常識を持って仮面を被っている人間なので、視聴者は晶を全く怖いとは思わないし、むしろ自分の中にある晶を発見していく過程においてカタルシスが生まれる。晶のもっている狂気とは所詮、普通の人の持っている狂気に傾く瞬間でしかないし、その傾斜も高いか低いかに過ぎない。その傾斜を晶は自分がコントロール出来ているわけでもないが、それでも自分に戻ってくることが出来るし、その晶が狂気のなかにいることを誰も指摘はしないし、それを指摘してしまうと結局、狂気が自分の側が傾いてきてしまう、という常識によって成り立っている。つまり常識を図る計測器が狂っていないのだ。獣になれない、といいながら、だれもが自分のことを考えて生きている。たまたま獣になれない、つまり孤独になれない、といっているだけでいつでも獣にも孤独にもなってやるよ、という物語なのだ。

それに対して、「僕らは奇跡でできている」は常識を図る計測器が転倒している。だから怖い。主人公である一輝によって周囲は自らの狂気や恐怖を暴露されていく。それは結局、心理的に恐怖心を植え付けられていくような怖さにも繋がる。何故なら一輝の持っている計測器がどのようなものか、周囲は分からないからだ。いつのまにか自分の中にある常識が崩壊してしまうかも知れない、そんな怖さがある。だからドラマとしてのカタルシスは少ないのは、僕らは結局、自分の中に一輝のような面を持っていないことを知っていく作業を行っているからだ。一応祖父や上司によって一輝はコントロールをされているので、一輝の計測器は転倒していないように見えるのだが、やはり人間関係において転倒をしている。

一輝は一見、周囲にかまわれてアイドル風な感じだけど、そうではなくて、とてつもない孤独を抱えて生きている。その孤独感が周囲に通じないのが一輝という存在の特徴であり、一輝は普段から孤独であり自由なのだが、周囲は何故かそれが「伝わらないから分からない。」と誤変換をしてしまう。

晶のしんどさを周囲の人たちが分かるのは、晶が周囲に合わせているからで、一輝のしんどさを周囲の人が分からないのは周囲に合わせていないように見えるからだ。

一応一輝の立場に立つと、一輝も十分周囲に合わせていると思う。ただ殆どそれが出来ていないのが一輝の特徴だけど。晶の存在が共感を呼ぶのは、「周囲に合わせるのも楽じゃない。」という分かりやすい共感心理をついているからだ。一輝の存在は「周りに合わせられないのも楽じゃない。」なので、共感を呼びにくい。世の中の人は大体周囲に合わせなくちゃいけないことで悩んでいて、周囲に合わせられている、と思い込んでいるからだ。その人は周囲に合わせているのでは無くて、相手や周囲の共感する心理を突いているだけに過ぎない。だから合わせ方にも高い低いが存在する。

でも、この二つの物語のテーマは「孤独」だと思う。

何故「孤独」がテーマなのか、というと晶と一輝はそれぞれが所属する会社や共同体を辞めることになるからだ。それは結局晶も一輝も自らの中にある「孤独」を飼いならすことが出来なかったからでは無いだろうか。物語を見つめているうちに晶は少しずつ狂気への道を歩んでいることが分かる。そのあやうい狂気や地獄を晶は歩んでいるらしいのだが、現在ならば単に「リアル」という言い方で片付けられてしまう。

何故なら晶は女性だからだ。もし晶が男性ならもっと違う物語は派生するはずだ。さて、晶の人生の何処が「リアル」なのだろうか。「リアル」とは「酷い」と言い換えることが出来るはずで、結局視聴者は「私は晶ではない。」という気持ちでドラマを見ていたはずだ。晶ほど「リアル」な人生を歩んでいないからこそ、頑張って周囲に合わせて生きている晶に共感出来る。

一方一輝は男性であり、一輝の人生も十分「リアル」であることは分かるだろう。では何故その「酷さ」が描かれていないことに視聴者はイライラしたり、時に怒りをぶつけたりするのだろうか。それは一輝のような人間ならばもっと「リアル」な人生を歩んでいるはずだ、という思い込みが視聴者側に存在するからだ。それは一輝が「リアル」でありながら「装っていない」からであり、「装っていない」まま周囲に受け入れらるわけがない、という思い込みが視聴者側にあるからだ。視聴者はそれを「リアル」とは考えない。だから共感をしない。

だが、「リアル」とは一体何なのだろうか。「リアル」とは「現実」であり「酷い感じ」が無いと人は何故か物語に「リアル」を感じにくい。でも物語というものはもっと前から「リアル」で、人間は「歴史」という大きな物語を生きていて、日本は第二次世界大戦に大敗して、今は戦後七十五年目で、平成三〇年で平成も終わるわけで、「リアル」には私たちが生きている無意識が根付いているんだと思う。

晶は自分の人生に「酷い感じ」を捉えられるようになり、それと向き合うことになった。仕事を辞めたのは「酷い感じ」を受け入れたからだが、晶は自らが「家族」を喪失していることを武器にして、生きるようになる。晶の中に感情が生まれるのだが、それもまた「自分らしさ」という枠組みの中の物語でしかないのではないか。晶は「間違った」のだが、そこには五年間自分を殺して「正しく」生きてきた晶だからこそ生まれた感想であり、その「間違い」をそのまま受け入れることが出来るようになるのは、結局晶も人生を自分のために生きていたことに気付くからではないだろうか。

それが「リアル」であり「リアル」とは現代において「無意識」と近い。だが何故か「無意識」を「酷い」とは感じる人はなかなかいない。

「僕らは奇跡でできている」と「獣になれない私たち」の物語の表現自体はかなりノイズが入り込んでいるのに、きちんと構築されているため、インテリジェンスで解釈が出来るようになっている。

僕らはみんな孤独という獣を飼いならすことが出来ない。だから生きていることが奇跡なんだ。

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